最近ずっとYouTubeで神田伯山見ていた
オススメに別なユーザーが他のコンテンツと言うか、お話をアップしていたのでいくつか見ていたら気になるものを見つけ、また見たいなと心当たりを探してみたがない。
検索してみても出てこない。アレ?消された?と諦めて土日は休みして月曜日、神田伯山TVを見るとそこに探していた中村仲蔵があった!
これはスゴイ!
面白くてなんども見た
子供の頃、落語で泣けるのを聞いたことあるんだがそういうのと講談は通じていたんだってことが分かった。落語は笑いがないとつまらない。講談はまだよくわからない。けどなんども聴きたくなる魅力を感じた。
なになにの映像化って話を聞くが聴いて映像が浮かぶ芸術は最新のテクノロジーよりすごいんじゃないか。
もう私たちはその昔の中村仲蔵をこの目で見ることはできない聞くこともできないが、こんな風に現代に生きる人間によって語り継ぐ方法で映画化しなくても目に見えるのだ。むしろ目で見る以上の体験をしているのではなかろうか。
えーと、それから、落語で中村仲蔵を聞いた。そっか、落語なので笑いに比重を置いている。あまり内面に目を向けていない。同じコンテンツでもこんな風に表現が変わるんだ。歌舞伎と言うか狂言?の定九郎を見たくなった。
なんども同じ話を聞きたくなる。
普通、なんども同じ話をする人って、ちょいウザったい。聞いたよ聞いたその話って。
でも、こういうホンモンなのはやっぱり芸術で面白くて何度も聴きたくなる。つまり音楽なんだと思う。単なる噺じゃなくて、旋律を聴いているんだということ。だから何度でも聴けるんだよな。