ルイス・ウェインLous Wain1860-1939
ネコの絵を描き始めてから図書館でイラスト集や美術書などを見ていたらルイス・ウェインと言うネコの絵を描いて人気だったイラストレーターを知った。
物の本によると、ルイス・ウェインはロンドン北部のクラーケンウェルで生まれた。ウェストロンドン美術学校で学んだ。
1880年クリスマスにネコではないイラスト、ウソという鳥の絵が雑誌に掲載された。
まだネコの絵のイラストレーターではなかったのだね。
彼の奥さんが病気になり、ネコの存在に癒されていたらしくそれで彼はネコの絵を描く様になり、彼の飼い猫ピーターの絵がイギリスの猫の地位をあげた業績がある様だ。大袈裟に言うとそうらしい。
絵本の挿絵の第一作目はタビー奥さんの家1886
イラストレイティッド・ロンドン・ニュースに何度も掲載されたらしい。
1890年クリスマス号の「猫のパーティー」が初めて登場。
あの有名な擬人化された洋服姿のルイス・ウェインの猫だ。って言ってもどの絵か私はよく分からないが、きっと知っている詳しいあなたはあゝあの絵だなと察しがつくのではないか。
この物の本にネコのはその猫のパーティーの絵は掲載されていない。1番面積のあるのは洋服を着ていない猫がラグビーらしきスポーツに興じるシーンだ。
13匹だな。日本人にはおしくらまんじゅうをやっているように見える。
必死な顔がおかしい。みんな耳を後ろに向けて必死さが伝わる。
ひとりひとり表情が違っておもしろい
ところで1890年ウェインは英国キャットクラブの会長に就任、迷子動物保護施設や英国動物実験反対同盟などのメンバーを務めた
別な本にはネコの絵の著作権管理をしていなかったのでかなりお金に困ったと書いてあった
ウェインのおりこう猫さんの絵のないクリスマスなんてまるでレーズンの入っていないクリスマスプディングの様であったと書いてあるのでたいそうな人気だった
イギリス国内に止まらずアメリカでも。
1907年アメリカではウェインのために盛大な歓迎レセプションが開かれ3年契約でニューヨークアメリカカン誌にネコのコマ漫画を掲載することになった
ところがイギリスに帰国したある日、ウェインはバスの乗降口から転落し脳震盪を起こした。これが元でやがて精神に異常をきたした様だ。
お金に困ったこともあるのだろうがその事故が致命的だったのだろうね。
ルイスウェインを検索するとよくよく出てくる病気前の絵と病気後のサイケデリックネコの絵はこういう経緯だったか
執筆ちょっと中断。