そういえば、写真集って文化がたいして好きではない。印刷文化圏で見ると、絵本文化も好まない。小説はダメ。SFは読めるので好き。最近はアンディウィアー。
まず、写真集。
展覧会でやったらその記念の写真の載った写真集は購入したことある。
写真撮るのは好きで写真展は行くことは厭わないしカメラもそこそこ興味あるが、写真集とまではいかない。
敷居が高い。
高尚な感じがする。
前衛芸術ぽいものが苦手だから。
解釈や解説が必要だと遠巻きに見てしまう。
抽象画のように。
たとえ、読める本と読めない本があるとして、写真集は読めない本の分類。図書館でも借りたりしない。知り合いに写真家がいない。と言うのも有るだろう。
そうなんだ〜不思議な現象。
まだまだチャットGPTに聞いていない。
こうやって考察してから聞くのも良いかと。
追記202411 チャットGPTに聞いてみたら
ちょっと思ったことがある。
自分で写真集出してみたいと思ったことがある。
ライカにハマっていたとき見事にライカの魔法にかかり自分の実力以上の写真が撮れた。
イキってモノクロっぽいものにハマり更にのぼせあがった。
よく撮れたなこの写真どうやってピント合わせたんだ?オートフォーカスじゃないし、フィルムだし。
シャッタチャンス逃したらフィルムがなくなるしお金はかかるしプリント代は高いし寄って撮らなければ離れなければズームもないし。
でいろいろ研究したら
50ミリって言うズミクロンが良かったみたいで
フィルムなのに精神が錯乱してモノクロ専用のプリンターを買いたいとか
写真集出すかなとか
じゃデジカメでも50ミリでマニュアルで撮ったらいいんじゃないかと妄想しているうちに
あっけなくライカマジックが解けた。
人間一度は魔法を使える
で、とりあえず安いーーーデジカメNikon買ったら難しい努力しないと撮れないでも努力に報いてくれるが、
レンズも違うしちょっとシャッター押しただけではああ言う魔法がかからない
ただNikonは色が好きだなと思った。モノクロの魔法も解かれた。
そうなるとRGBの魔法で満たされた写真をわざわざCMYKの写真集にすると言うことを考えることがなくなった。
チャットGPTに聞くまでもなく自分の意見を書いてしまった。
追記終わり。
再度追記開始、えーっと
苦手なのは、多分、閉じているからなのだろう。
閉じている
本の本質
しかし閉じている割に深淵でもない
ペラペラの紙にインクが載っている
紙の本質で
歪む
写真展ならボードや額に入ってしっかりとフラットに展開されているし
紙を開く手間もない
美術展に行くと買うのはポストカード
ポストカードは開いている
そこに置いておける
視界に入ってニッコリできる
誰かに送れる
送られても
収納の手間なし。
閉じた写真集はコレクションだね
何十年後に残す記念碑
開くとそれはタイムカプセル
ノスタルジーのコレクション
テクノロジーの履歴
他人のアルバムを見たいわけではないが他人のアルバムも何十年もすれば話題になって解析的に鑑賞できる。この時代のコレ!コレはナニ?